監視カメラでの監視
悲しいことですが、現代の日本は監視カメラで監視して犯罪を防止しなければならない時代です。かつてのような日本の安全神話は崩壊してしまっています。しかし、日本人の防犯意識は諸外国と比較すれば、まだまだ低いといわれています。
監視カメラも一般家庭用のものが低価格化が進んでいます。自分の身は自分で守るという安全意識を高めましょう。
無垢フローリング、東映・角川書店・産経新聞により、監督に原田眞人を起用し劇場映画化された。原作は『呪縛』。主題歌は中山美穂が唄う『Adore』。
ストーリーは概ね原作と同じである。映像作品ならではの特徴としては、日比谷公園を中心に据えた描写が挙げられる。第一勧業銀行本店、東京地方検察庁(検察合同庁舎)、記者会見を開く日本記者クラブのプレスセンタービル、金融行政を牛耳る大蔵省、役員らが密談を開いた帝国ホテルは、すべて日比谷公園を取り囲むように実在している。ただ、さすがに第一勧銀本店ビルは使われず、異なるビルがACB本店として使用された。日比谷公園を行き交うように物語が進行するカメラワークが見られる。
セミナーにはない展開として、ブルームバーグテレビジョンの女性アンカーが登場する。新聞連載の小説で、従来はいなかった女性が原作読者層として加わっていたことを受けて、映画化にあたっての宣伝ターゲットを拡大するために導入されたと見られる。銀行や大蔵省と並んで、旧態依然とした体質のマスメディアについての、また、女性の雇用環境を巡るジェンダーの観点からの描写を作品に加えている。
主演は北野役の役所広司、佐々木相談役役の仲代達矢。共演にMOF担の椎名桔平、矢島健一、中村育二(以上「4人組」)。この他、東京地検特捜部を率いる遠藤憲一、北野の妻役の風吹ジュン、ブルームバーグアンカーの若村麻由美、真相調査委員会の弁護士のもたいまさこ、新経営陣に根津甚八、本田博太郎、石橋蓮司、自殺した元会長の佐藤慶、その秘書に黒木瞳、佐々木の愛人に多岐川裕美、事件の発端となる総会屋に若松武史、特別出演でフィクサーに丹波哲郎らが出演。無名塾出身の俳優の名前が多数見られる。
監視カメラな出演者としては、原作者の高杉良自身が出演(ACBの株主総会直前に北野を激励する顧問弁護士役)している。また、高杉と親しい佐高信が、テレビ番組内の「辛口評論家」役として登場する。フジテレビアナウンサーの吉崎典子も、そのままアナウンサー役で出演。
地上波放送では2001年にフジテレビの「ゴールデンシアター」で放映され、その後地方局の深夜映画枠でも放映されている。
父は茨城県の農家出身で東京でハイヤー会社を自営していた仲代忠雄、母は五反田小町と呼ばれた薬局の看板娘・愛子。富裕層の多い青山の青南小学校に通うも、一家は極貧状態で弁当のおかずもなく、母親は教師にここはあなた方のような貧乏人が来る学校ではないと言われたという、孤独な少年時代をすごし、戦後は親戚や弟と、ポン菓子屋、中華そば製麺所を起こし、小学校用務員、大井競馬場警備員などのかたわら青南小学校卒業後、北豊島工業学校、東京重機学校などを経て、学制改革ののち、東京都立千歳高等学校(現東京都立芦花高等学校)定時制卒業。愛称の「モヤ」は、母が仲代の本名・元久のモと、「ねえや」「ばあや」のヤをかけあわせて呼び始めた。
粗大ゴミを観劇した際、千田是也の演技に感銘を受け、1952年、高校卒業と同時に俳優座養成所に第4期生として入所。同期生に佐藤慶、佐藤允、中谷一郎、宇津井健などがおり、仲代はバーで働きながら役者修行に励んだ。
養成所時代に、黒澤明監督『七人の侍』(1954年)で、セリフなしの浪人役をつとめて映画デビュー。1955年、養成所を卒業(前年既に初舞台)、俳優座に入団した。異母姉の命名で芸名は「達矢」を名乗る。同年秋の公演『幽霊』で抜擢されて、新進舞台俳優となる。この舞台『幽霊』を見た女優の月丘夢路が推薦し、月丘の夫である井上梅次監督に誘われて、同監督の映画『火の鳥』(1956年、日活)で月丘の相手役という大役で映画界にも本格デビューを果たす。翌1957年、小林正樹監督の松竹映画『黒い河』でのやくざ・通称人斬りジョーの演技などを演じた。
1959年、俳優座所属の女優・宮崎恭子と結婚。
1959年、小林監督による六部(上映は1961年まで)に及ぶ超大作(総上映時間・約10時間)『人間の條件』で主人公・梶に起用される。撮影1年半に及んだこの作品(原作:五味川純平)で仲代は、監督も感服する演技を見せた。同年には犯罪者に扮した『野獣死すべし』も公開。当時、映画会社数社から専属契約を打診されつつも断っている。
脱毛にも注目され、黒澤映画の常連だった主演スター・三船敏郎に対抗できる敵役俳優として、1961年『用心棒』、翌年『椿三十郎』に連続起用される。仲代の風格を買った監督の期待に応えた。1963年にも黒澤作品『天国と地獄』で誘拐事件を追う刑事役を演じる。
一方、映画では市川崑監督の『鍵』(1959年)、成瀬巳喜男監督の『娘・妻・母』(1960年)、『女が階段を上る時』(1960年)、小林監督の『切腹』(1962年)、『怪談』(1964年)、『上意討ち 拝領妻始末』(1967年)、豊田四郎監督の『憂愁平野』(1963年)、『四谷怪談』(1965年)、岡本喜八監督の『大菩薩峠』(1966年)、『殺人狂時代』(1967年)など、映画会社に縛られない身で名監督たちとの仕事が続く。1968年にはイタリア映画『野獣暁に死す』に出演。アジア系ではなくメキシコ・インディアンの血を引くという設定のアメリカ人の悪役である。
1970年代には山崎豊子原作・山本薩夫監督による政財界もの映画『華麗なる一族』(1974年)・『不毛地帯』(1976年)で主役を演じた。
映画会社とは一切専属契約は結ばなかったが、結果的には東宝映画への出演が飛びぬけて多い。
一方、長らく空白だったテレビドラマでも、1972年のNHK大河ドラマ『新・平家物語』で平清盛を演じ、清盛が出家する後半では実際に剃髪して演じた。
包茎そして俳優養成塾主宰
俳優座の看板俳優だった1975年に、恭子夫人と共に「無名塾」を創立。1979年には俳優座を退団した。以後は無名塾公演で、シナリオ・演出を妻に任せ、自分が出演する形で舞台活動を継続してきた。
映画では、1980年の黒澤監督の大作『影武者』で、監督との確執で降板した勝新太郎の代役として急遽主役に抜擢されるが、カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞する。
同年には舛田利雄監督の戦争巨編『二百三高地』にも主演、乃木希典司令官を演じている。さらに、1982年には五社英雄監督『鬼龍院花子の生涯』で、土佐の侠客・鬼政こと鬼龍院政五郎を演じ、全くタイプの異なる役柄を演じ分けた。
1985年の黒澤作品『乱』でも主演し“戦国版リア王”として悲劇をたどる秀虎役を演じた。
トラック買取、現代劇を問わず演じられる俳優として、テレビでは『忠臣蔵』(1991年、大石内蔵助を演じた)、中国残留孤児となった子を探し続ける父親を演じた『大地の子』(1995年)、『秀吉』(1996年、千利休を演じた)などで近年も活躍している。
俳優座時代、また無名塾公演でも多くのシェイクスピア作品に主演している。
海外での受賞歴は、シシリア・タオルミナ映画祭賞(1971年)、カンヌ国際映画祭グランプリ(1980年)、マニラ映画祭主演男優賞(1982年)、フランス文化賞シュパリエ芸術勲賞(1992年)など。
恭子夫人とは、1955年に舞台『森は生きている』の共演で急接近し、1959年に結婚。その後、家庭と無名塾の公私両面を二人三脚で乗り切る。夫人が1962年に死産してから夫婦に子がなかったため、夫人の妹宮崎総子(アナウンサー)の娘・奈緒を養女に迎えている(総子は奈緒の実父と離婚している)。奈緒は仲代奈緒の名で歌手になった。1996年、長年連れ添った恭子夫人を癌で失う。
自叙伝『遺し書き』によると、テレビ東京のドキュメンタリー『ネシアの旅人』で太平洋全域の島を訪れ、生きることの意味を再発見して仕事に復帰したという。
脚本家で演出家だった恭子夫人死後の無名塾公演は演出家を招くか、時に仲代自身が演出を兼ねる形で続いている。
弟はシャンソン歌手の仲代圭吾。
仲代の少年時代からの愛称“モヤ”は、養成所時代、また芸能界でも多くの人々に用いられてきている。理由は、仲代の本名の他、仲代の顔のつかみどころのない独特の雰囲気、声に抑揚があまりない、という特徴を言い表わした愛称という。
俳優座養成所時代、宇津井健とは性格が随分違っていたが、仲が良かった。『七人の侍』では、ともに浪人役のエキストラとして共演している。
仲代は温厚な性格で知られるが、若き日には共演者の三船敏郎や萬屋錦之介と酒を飲んで、演技論を戦わせた末にケンカした、という血気盛んな逸話を自ら語っている。丹波哲郎も「ケンカが強いのは仲代」と述べていた。
映画『黒い河』『椿三十郎』『鬼龍院花子の生涯』など傲岸不遜な役も多かった仲代だが、素顔は全く逆で繊細。妻の宮崎恭子も女優であり、数々の女優達とも共演してきたが、『さんまのまんま』(関西テレビ系)では「女優さんって、みんなどうしてあんなに強いんだろうねぇ…。」と語っている。
大河ドラマ『風林火山』で武田信虎を演じたとき、映画『影武者』で晩年の武田信玄を演じたことを引き合いに出し、「こういった信玄像もあるのか」としきりに感心していた。